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読書感想文

永井均『<魂>に対する態度』勁草書房

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「魂」に対する態度/勁草書房
  歴史記述を自叙伝にたとえるならば、その叙述方法には、解釈学的、系譜学的、考古学的、という三種類のものが考えられるように思われる。

 解釈学的記述は、現在の自己を成り立たせていると現在信じられている過去の記述である。 だから、それは「思い出」という形をとって現存しているものの記述である。

 系譜学的記述は、現在の自己を成り立たせていると現在信じられてはいないが、実はそうである過去の記述である。だから、それは思い出として現存することを拒否された過去の記述である。

 これらに対して考古学的記述は.現在の自己を成り立たせてもいなければ、そう信じられてもいない過去の記述である。

(それぞれを、へーゲル的、ニーチェ的、フーコー的、と形容することができるだろう。)





 哲学用語が出て来ちゃいましたが、実は私たちが普段「過去」に対して無意識のうちに使い分けてる態度を言い換えているだけです。

 最初の「解釈学的」というのは、自分にとってその過去がどんな意味を持つかを考えてみるって感じです。「あ~俺って何でこんな手酷い失恋ばかりするんだよ~」と肩をがっくり落としていた青年が、ある日ある時運命の人に出会って「うおぉぉぉ!俺のこれまでの苦難の日々はただ貴女という人に出会うためにあったんだあぁぁ」っと天啓に打たれて空に叫ぶようなイメージです。

 イタイ想い出は前向きに「この日のため」に解釈し直されます。あんなこともこんなこともあった…でも一つ一つの苦い経験がそれぞれ今日の出会いをもたらしてくれたんだ…。

 ちなみにヘーゲルという化け物哲学者(オリンピック重量挙げ10大会連続金メダルみたいな(笑))は、過去の歴史は全部(自分の)国家を経由した「絶対精神」の具現化のためにあるとしました。



 次の「系譜学的」な過去ですが、これは自分の家系図を考えてみるとわかりやすいです。ご先祖様には当たり前ですが知らない人もたくさんいるわけですけど、その系譜の一番下に現在の自分がいる。今の自分はまあ、間違いなくこの人達のおかげでここにいるわけだけど・・・(てんてんてん)。
 恋愛でいえば、一つ一つはバラバラで何の脈絡も感じられない。ただ例えばクロニクルな年表にして冷静に眺めてみれば(冷静になれるなら(爆))、自分の女性観、恋愛観に否応なく影響を与えていると認めざるを得ないような過去です。

 ちなみにニーチェはアンチキリストの人も、自分のものの考え方が、それまでのキリスト教社会の影響を知らず知らずにモロに受けているという系譜のつながりを解き明かす時にこの方法を使いました。(『道徳の系譜学』その他)




 そして本題の「考古学的」ですが、これは永井さんに語っていただきます。

解釈学的歴史理解に真に根底的に対立するのは、系譜学的歴史理解ではなく考古学的歴史理解である、と私は信じる。

 それは、歴史が統一的な意味をもち、現在が過去の全体をその内部に「止揚」しているという思想を根底的に拒絶する。

 そして、この歴史理解の根底にあるのは、現在が決して到達することのできない過去の生のリアリティーに対する「愛」である。(その「愛」という概念自体、現在がつくり出した創作物であるから、この言い方は精確ではないが。)



 出てきました!「愛」!ლ(ʘ▽ʘ)ლ

 永井さんのこの言葉を同じように恋愛を例にしてゆっきー流で解説してみたいところですが、長くなりましたので次回そこから始めたいと思います。



 過去の恋愛については、確かにあれこれ忘れられずに新しく解釈しなおしたり、ぼーっと恋愛遍歴を他人ごとのように順番に思い浮かべる時ってありますよね(笑)。頻繁にじゃなくても…。
 まあ、そんな話です。


 続く…

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~ Comment ~

1. 恋愛考古学における神の手 

恋愛の比喩
とてもわかりやすいです。

なるほどそういうふうに整理できるんですね。

ぼくなんかは徹底的に
解釈学的恋愛理解
にまみれてしまっていて
すべての経験に意味づけをしないと
自己がバラバラになってしまう
危惧に囚われてしまっています。

考古学的恋愛理解。

現在が決して到達することのできない
過去の生のリアリティーに対する愛。

愛が解釈でなくてなんであろうか
とも思ってしまうので
次回がいかな展開になるのか楽しみです。

2. Re:恋愛考古学における神の手 

>鷹師さん

おはようございます(o^—^)ノ
お読みいただきありがとうございます!

永井さんの別の著作でこんな言葉があるんですが、それを恋愛論に当てはめてみようかなと思ってます。

ぜひまた遊びに来てくださいね!

「考古学的事実は、現在との間に、掘り起こされるべき意味上のつながりをもたず、たとえ掘り起こされても、それは意味連関の欠けた単なるエピソード(個的事実)としてしか理解されない。いつか連関が設定され、考古学が解釈学に変わるかもしれないが、それをいま予想することはできないのだ。」
『転校生とブラックジャック』

3. 恋愛遍歴 

真夏の解放感から、
「非行少女」になっちゃったみたいな、
ゆっきーさんも、観たいな。
なーんて♡ふふふ。


アイコン、うつくしくおなりですね。
ぺタ戴くたびに萌えますわ。(笑)

4. Re:恋愛遍歴 

>したきりすずめさん

ありがとうございます(o^—^)ノ
あとは非行に走るだけです(爆)。

5. 考古学的 

むつかしいね。

この言葉を見てふっとよぎったのは『普遍的無意識』

愛って誰に教えられるわけでもなく人それぞれが心の中に持っているもの。

それを表に表現できるかどうか、また表現のやりかたが「そのひとがそうであるための理由」とつながるのかな?

6. Re:考古学的 

>タロットカウンセラー 喜与実さん

表現との関係を考えて見ると…

人は神様みたいなみんなへの愛を想像はできるけど、実際には目の前の一人にしかそれを注げない(自分にだけ注いで欲しい)ということでしょうか。

愛について語れても、自分のこととなると独占したり独占されたくなっちゃう。

むずかしいですね(*u_u)

7. 新三大○○・・・ 

マツコ&有吉の怒り新党ではありませんが、三者の舞台を用意したのがゆっきーさんの卓見というものですね。
ピタゴラス的隠秘学では2まだ世界とは呼べなく、3から世界と呼ぶ面と運動の三態を持つとされています。
我と汝的西洋感は物理学においても、2の明確な学問でした。たとえば月と地球の運動は普遍に美しく解けるのですが、実は火星から遠方の惑星、太陽をはじめとする内側の惑星を考えればおそよミクロの誤差があとあとおおきなものとなります。量子力学とともに物理学者が東洋思想に走ったのもわかるような気がします。
因と果だけでないその間には無数の縁があり、その出発点を3から始まるのが世界だと見たのでしょうが、同じように心理の中にある時間と場と関係の構造を覗いたようでスリリングです。
さて「愛」の概念が魅力的に展開しそうですね。すみません。
また長くなってしまいました。(^^ゞ

8. Re:新三大○○・・・ 

>夏流さん

おお!
格調高い話にしていただきましてありがとうございます(o^—^)ノ

でも過去の恋バナとこのみっつの考え方って合ってると思うんですよね。意外と実用的だよなあ、って思います。

うまくそのへん書けるかな…

9. 無題 

歴史を眺めるときに気を付けるべき点ですね。
歴史を学ぶときはきちんとこれらを意識して考えることが大事です。

ところが自分の歴史を眺めるときは常に考古学的記述しかできないオイラは、反省も後悔もしない!!

10. Re:無題 

>マトゥシュカさん

ふ~む
それはツライかもしれませんね(爆)。

11. 興味深く拝見しています。。 

永井教授についての記事を大変興味深く拝見しています。

<私>が、宿る個体どおしの恋愛というものは、他の動物の生殖行為とは、異なり、大変興味深い事象です。

ヘーゲル、ニーチェ、フーコーの歴史観それぞれについても、過去の人々にも<私>が宿り、歴史を形成しているという視点で、再観すると大変興味深い成果が得られます。

最近、<私>は、いつこの世に生まれたのかということを考えています。それは、宇宙生成の137億年前ではなく、多分、紀元前4197年1月29日の日曜日(グレゴリオ暦換算)なのではないかというのが、私の考えです。

永井教授の<私>は、最近、あまり使われていないようですが、大変有効な哲学のツールだと思います。

12. Re:興味深く拝見しています。。 

>エトワールさん

永井教授は多分日本の哲学論壇のメインストリーム(そんなもんが本当に存在し、かつ無意味じゃないとするなら)とは無縁の人なので、今の認知度で普通なのかも?

でもすごい人ですよね。
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