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おとめのエッセイ

女医の力~その4 隠れ蓑としてのプロ意識?

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天使の卵 エンジェルス・エッグ (集英社文庫)/集英社
 「初めて聞く声は、透き通っていて耳に心地よかったけど、白衣に身を包んだ彼女は、電車の中で見た時とは別人のようだった。あの傷つきやすそうな、ガラス細工の人形のようなもろさは、さっぱりどこかへ姿を消してしまっていた。かわりに、職業を持った、それも医師という最も責任の思い職業を持った人間の、気魄というか覚悟というか、そんな風なものが彼女を包んでいた。それはちょうど、彼女の着ている糊のきいた白衣のように、甘えを寄せつけないピリッとした雰囲気のものだった。もちろんそんな彼女もとてもきれいで魅力的だったが、それでも僕はちょっと残念な気がした」




 精神科医、カウンセラーという職業は、日常と非日常の境界線上にあると思う。接する側の方ではプロとしての突き放した距離感と共に、一人の信頼できる人間としての、触れようとすれば手でその温もりを感じることのできる距離感も不可欠だろう。もちろん、「先生」がそれを自分に触れさせるかどうかは別としてだけど。

 主人公の僕にとっての、「傷つきやすそうな、ガラス細工の人形のようなもろさ」の痕跡を残しつつ、「彼女の着ている糊のきいた白衣のように、甘えを寄せつけないピリッとした雰囲気」を醸し出している先生はまさにその境界線上の人だ。

 この危ういバランスが医師の「プロ意識」の側に遠ざかり過ぎると、それは自分の心から離れていくし、相談者として近づきすぎるとお友達、恋人になってしまう。

 その意味で僕が初めて病院で再会した時の彼女は、精神科医の医師として理想的だったと言えそうである。

 この「プロ意識」と相談者のバランスについて、相談される側の人間、精神科医やカウンセラーはどう考えているのだろうか。



「心の専門家」はいらない (新書y)/洋泉社
 カウンセリングという職業の普及は、その「業界」の側からの自己宣伝によるところも大きい。
「他人は安心できませんからこちらへどうぞ」と言わんばかりの言説にも出会う。
たとえば、この領域でもっとも高名な心理臨床家河合隼雄は、学生相談に関するある書物のなかで、次のように述べている。
「アメリカでは自分の『真の悩み』など友人に話すことは、絶対といっていいほどない。
そんなことをすると自分が危うくなる、というわけで、アメリカでは専門職( プロフェッショナル) としての相談者が多くなる。
 学生相談が必要なのも当然である。
 日本はアメリカとまったく同じではないが、それに近づきつつある」(「学生相談と心理臨床」金子萱房)。
 これが事実であるとするならば、はたしてアメリカのあとを追うのは望ましいことなのか。

 それは考えものなのではないか。






 むずかしい問題だと思う・・・。

 結論を考えるのはもう少し後のこととしたいのだけど、ひとつどうしても感じるのは、最後の最後までプロとして接するという態度で、果たして「患者」の心に精神科医、カウンセラーは何らかの影響(治療効果を含む)を与えられるものなのだろうか、ということだ。




 別に一緒に泣いてくれってわけじゃないし、そんなことになってしまうと、今度は患者の側で「まあまあ、先生」っていう本末転倒な気持ちになるかも(笑)。これは河合隼雄さんの理想とする先生の正反対の極端な像で、ある人は「プロ失格」と言うかもしれない。

 でも、それならばと思うのだけど、そもそも「心のプロ」にこころの問題など治せるんだろうか、という根本的な疑問も湧いてくる。それどころか心の<プロ>だからこそ実際には治せやしないと言えはしまいか。中には「治す」ということが「先生」の主目的ではないというレトリックを持ち出す人もいるかもしれない。しかしそれならば、その人はもはや単なる職人的問題すり替え技術習得者に他ならないだろう。http://ameblo.jp/tweetyukky/entry-11324904062.html

 少なくとも精神科医やカウンセラーは「プロ意識」というものを、たとえばこんな深いレベル、その究極的な困難さの問題意識の中から持つべきではないだろうか・・・。



「でも、もっと深くて重い苦しみを味わっている人を助けるには、きみ自身がその人の苦しみとおなじだけ深く重くならなくちゃならないんだ。そんなことは、めったやたらにできることじゃないし、できたとしたら、きみの精神に破壊的な影響を与えることになるんだ。」http://ameblo.jp/tweetyukky/entry-11305574603.html




 患者とまったく同じ問題を抱えている必要はないけど、同じくらい深いところで一度も悩んだことのない心の「先生」にそもそも心の問題は扱えないのではないだろうか。

 悩んだことがあっても必ずしも有能な医者になれるわけじゃないという命題を、悩まなくても優秀な医者になれる、個別の悩みなどむしろ客観的な診療の邪魔になると間違って変形したい人もいるだろう。
 しかしそんなのは「問題文など読まなくても正解は出せる!」とか言って一時的に知名度の上がるカリスマ(?)予備校講師のようなものだろう。決算書なんぞそんな邪魔で面倒なものは読まなくても、太陽の黒点の動きで株式相場を完全に予見してしまう最後の伝説の相場師(爆)と一緒。



 そして上手に考え悩むにはおそらく誠実で謙虚なセンスが必要だ。

 だから反対に自分の個人的な悩みを未消化のまま医療の現場に持ち込むなども論外だ。医師が自分のトラウマを武器にしたらオシマイだろう。だからこそ痕跡なのだ。痕跡の持ち様(もちよう)にはその人の生き様が見事に現れるから。そして痕跡を消そうとだけしてきた人は、少なくとも本当の意味での心のプロなどにはなっちゃいけないし、なれもしないだろう。



 どうも医師やカウンセラーと呼ばれる人の中には、患者との冷静な職業的距離感と自分の有能さ(もしくは熟達度)とを混同してるひともいそうな気がする。そこまでひどくなくても、その二つにある種の正比例の関係が存在するように思っている人は少なくないのではないだろうか。

 もしくは、「自分は患者を治すなどというおこがましいことはしない」といいつつも、まさにその患者の治して欲しいという期待を利用した形でしか自分の職業を遂行できない人もいると思う。ちょうど無能で理想主義者の学校教師が上から目線の教師の態度を否定しつつも、肝心のところで教師の権威を持ち出さないとにっちもさっちもいかなくなってしまうように。




 その意味で「糊のきいた白衣のように、甘えを寄せつけないピリッとした雰囲気」は、時に経験の少ない医師やカウンセラーとしての、自分に完全に自信を持てない未熟な治療者の隠れ蓑にもなるだろう。





 それは、実は女性に不慣れな男の人が、年下の女の子とのデートで必要以上にイニシアチブを取ろうとする時のあのイタイ態度と似ている気がする。
 つくろったプロ意識など、つくろった男らしさと同じで見た瞬間化けの皮は剥がれてると言ったら言い過ぎか。

 ゆっきーとしてはデートの時、「傷つきやすそうな、ガラス細工の人形のようなもろさ」の痕跡(あくまで痕跡。そして私はそんなことにはっきりとは気づかない)を残したような男の人にむしろ男性としての信頼感を感じるのですが、それってマニアックなんでしょうか(爆)。





 でも、少なくとも私のその感覚は、『天使の卵』の「僕」が精神病患者である自分の父の主治医の「先生」に感じた信頼感と同じだと思うのだ。

 だから村山由佳さんの描いたこの先生、五堂春妃(ゴドウハルヒ)さんの生き様としての「痕跡」をたどってみたい。ここには書かないけど、私のこころの痕跡の意味も見つかるかもしれないから…。






 続く…
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~ Comment ~

1. マジシャンみないなのかな? 

アメリカでは本心を身近な人に打ち明けないという
話しはなぜか妙に納得できました。
強気で前向きな印象の国民性を感じてたから
人間っぽい悩みをどう消化しているのだろう、
という疑問があったからかな?

あと、精神の分野に携わる医師はマジシャンの様な
印象を持ちました。
なぜだろ・・・?
何だか決まった結果に「観客」を引き込み魅了するような・・・。
マジシャンはそのマジックを遂行する為に衣装を
身につけ、空気を言葉で操る・・・。


実際、その様にテクニックに長けた医師がいるのか
私には伺い知れませんが^^;。

2. Re:マジシャンみないなのかな? 

>川中小町さん

おはようございます(o^—^)ノ

アメリカ人も全員じゃないと思いますけど、なんとなくそんなイメージありますよね。
確かに友人に言うにしても整理して「自分の悩み」というサマリー作ってから相談してるかもなあ。

でも自力で要約できるならそれほど深い悩みじゃないと思うんですけどね。
河合隼雄さんが相談される悩みってそういうレベルの悩みじゃないのかなと思ったり(笑)。

なるほど~マジシャンですか…( ̄ー ̄)。

3. 繊細なひとって、すてき。 

>>「傷つきやすそうな、ガラス細工の人形のようなもろさ」の痕跡(あくまで痕跡。そして私はそんなことにはっきりとは気づかない)を残したような男の人にむしろ男性としての信頼感を感じるのですが、それってマニアックなんでしょうか(爆)。

スキースキー。
激しく、同意しますわ♡(笑)

4. Re:繊細なひとって、すてき。 

>したきりすずめさん

草食系というわけでもないですよね、こういう人。
(ノ∀`)
伝わって嬉しいな♪

5. こんばんは 

一見、何も考えていない、ボクサーやレスラーのようで、一皮むくと繊細な男性っていると思います。

私はサッカーが好きで、鹿島アントラーズのファンですが、最近入団したレナト選手なんか、そういうタイプです。はにかみ屋さんなですが、ピッチの上ではハードワーク。すごいFKを決めると、「神さまのおかげです」と微笑んでいる。

それで試合全体の分析や自分の位置づけは、しっかり説明できるので、好きになってしまいました。こういうタイプは、もしかしたら日本の男性には少ないかもしれません・・・・・日本の男の男性性は揺らぎすぎて、破綻して、どんな優秀なカウンセラーにも治せません(笑)

で面白いのは、例えばダンスセラピーなどで、一流企業の重役などが、風船を叩いて踊っているうちに、「自分ってこんなに純粋だったんだ!」と
驚いて涙を流したりするような状況です。

こういうのを一概に評価するのは難しいですが、
体の内側にあるものに「気づく」ということは、大切なことだと思います。たぶん、「糊のきいた白衣を着た、甘えを寄せ付けないピリッとした雰囲気」の精神科医は、体を動かして自分の内側にあるものと向かい合うことは苦手のように思います。

そういうことができて、なおかつクライエントの重く深い心の闇を共有してしまったら・・・・・暗い円と(笑)は、どうなってしまうのか?

ゆっきーさんはなかなか一筋縄ではいかないようで、意外にに単純?

それはさておき、患者との距離感は性格に保っても、「内なる自己」との距離感が保てない精神科医は多いと思います。

6. こんばんは 

ゆっきーさんが上手に考え悩むには、誠実で謙虚なセンスが必要だって言われるのは、よくわかります。患者さんと心の距離があり過ぎれば、理解すらできないし、逆だといっしょに落ち込んで、抜け出せなくなることもあるかも?統合失調症の場合は、患者さんの第一印象、そのよそよそさが、症状だって、ハイデッガーのいう世界内存在のその内存在に入れないで成立していない状態だって言われています。患者さんの心に入れない…しかし、入ろうとしないのはカウンセラーとしてどうかと思います。今は統合失調症に関してはいい薬が出てきているようですが、薬を飲んだ時と飲まない時の性格、人格のギャップに驚くこともある…話変わりますが、ゆっきーさんはマニアックではないと思います。少数派かもしれませんが、傷つきやすそうでガラス細工の人形のようなとこがある男性は、安心でもあるし、多分、ゆっきーさんには、そういう男性に何か包容力のある暖かいまなざしを向けることができるような何かがあるのでしょうね。

7. Re:こんばんは 

>牛山馬男さん

そのサッカー選手は存在自体が面白いですね。サッカーってそういう楽しみ方もあるんですね。

肉体を媒介にするのもひとつの方法ですが、とにかく何かに「気づく」というのはある意味恐ろしいことだと思います。

重役さんはその日のダンスが遠因ですぐに会社をやめなくても、引退したのち家族を捨てて出家するかも知れないし(笑)。

内なる自分に気づくのも気づかせるのも恐ろしいことだと思わざるを得ません。それを封じ込めるのが日常生活という安全装置なのでしょう。

余談ですが、あたしは第一印象単純➡一筋縄ではいかなそうだ➡第一印象時以上に単純、という理解のされ方のサイクルがあるようです。

当たってるかどうかは知りません(笑)。

8. Re:こんばんは 

>のぶさん

こんばんわ
お久しぶりです。
いつものぶさんにコメントをいただくとなんだかホッとします。
(´ー`)

ガラスの痕跡のある人はマッチョじゃないけど、私の中では信頼感という意味で安心感につながっているのかもしれませんね…。

9. こんにちは 

うまく表現できないのですが、「みえているもの」だけではわからないってことなんですよね。でも、「みえているもの」でしか、わからないですから・・・。クライアントがそういえばそうなんでしょうし、その奥に隠れたものを探ってみても、それもまた本当はわからない・・・。「わからないをスタートに」と大学院の時の先生にいつも諭されていましたことを思い出します・・・。わかってもらいたくて打ち明けることばかりでもないですからね・・・。

10. Re:こんにちは 

>takkerさん

こんにちは

takkerさんはカウンセラーの先生をされてますから、中には私のような懐疑的な(必ずしもそうじゃないんですけど(笑))クライエントさんに接する時もあるのかなと思います。

カウンセリングを受ける側からすると、異性の内科医の先生に上半身見せて聴診器当ててもらうのとは違うという気持ちがあると思うのです。

クライエントは先生を信頼できるきっかけを真剣に探しててどこかで、えい!って命懸けの跳躍?するポイントさがしてると思います。

だからtakkerさんのように「わからないをスタートに」してくれる先生だと前に進めそうな気になれやすいかなと思いました。

糊のきいた白衣の先生側に結論が見え隠れするときっとコワイと思いますから。

コメントありがとうございました。

11. 一緒だ^^ 

まさに!
アメブロのプロフィールにも書いてるんだけどあたしも「傷フェチ」(笑)

その人の中に何があるのか、どんな風にあたしが見ている風景をみているのかを知りたいとおもってしまって・・・

振り回されてます(汗)←彼氏たちにはね^^

あ!一緒にされたくないかぁ

失礼m(u_u)m

12. 初コメです☆ 


こんにちは、初めまして。

ペタをどうもありがとうございます。

記事を読ませていただきました。

なるほどと納得することが多かったです。


聞いた話ですが、アメリカでは
「ちょっくらカウンセリング行ってきます」
という感覚だそうですね。
かなりオープンだそうです。

そのかわり
本当の悩みは友人には話さない。。。

なるほど。

個人主義が反映されているのかな!?


13. Re:一緒だ^^ 

>タロットカウンセラー 喜与実さん

こんにちは(o^—^)ノ
喜与実さんのプロフの傷フェチってそういう意味だったんですね(笑)。

>>彼氏たち

って複数形…(。・・。)
すごい…

あれ?
じゃないかしら…
今まで付き合ってきたという意味?

いえいえ、どっちにしてもあたしなんとなくそういう傾向があるかも(笑)。

というわけで喜与実さんと同じでした!
( ´ー`)ノ



14. Re:初コメです☆ 

>アメアガリさん

こんにちは(o^—^)ノ初めまして
コメントありがとうございます。

誰にも相談できないっていう状況よりはアメリカ人的な感覚の方がいいかも知れないですよね~。

でも、心が楽になるのはゴールじゃなくて、何かの始まりなんじゃないかなあとも思うのです。

「つらくてもうどうしようもない」という状況から、専門家の先生のおかげで正常な思考ができる世界に抜けられたら、そこが自力で何かに向き合えるチャンスなんじゃないかなと。

その時その友達の力になりたいなと思うのですが…。
私もその時は改めて友達なり恋人のところにいくかな…。

15. コメント読むのも面白い。 

(´□`。)こんにちは!

まだ日本でカウンセラーなるものが珍しかった頃、アメリカでは映画でも、カウンセラーのカウンセラーが良く出ていましたよね。
結局、カウンセラーも人、わかればわかるほど、大変なんだと思う。うちに来ている子の中で、カウンセラーが全て肯定してくれて、とても助かったと言って次の段階としてうちに来た、と。でも、その子は現実に弱くて、なかなか労働や会話、普通の行為が難しかったんです。

なので、カウンセラーと言う職業は、ある段階を担当するには必要なものだけど、求める人は病気と同じで自分の治癒力と言うか自力も多少必要だと思います。
どんな人でもある種のカウンセラーであり、占い師であり、先生でもあり得る。カウンセラーにできることも医者にできることも限られる・・・・
極端だけど、『プリズム』の主人公の女性と乖離性~の男性の関係を思い出しました。

16. Re:コメント読むのも面白い。 

>スカーレットさん

こんにちは!
カウンセラーのカウンセラーというのがあるんですか!
へー(。・・。)
師匠筋の人とかなのかな?それともアメリカでは普通にそういうのがあるのかな~。

>>どんな人でもある種のカウンセラーであり、占い師であり、先生でもあり得る

って私がこの記事で書きたかったことでした。明瞭にまとめていただきました。
ありがとうございます。

だってやっぱり自分の一番大切な人が悩んでるのに、カウンセリング受けたらあっけなく完治しましたとか寂しいしなあ(笑)。

あ!
まてよ、ひょっとしてその好青年はゆっきーに振り回されてヘトヘトになったんだったりして(爆)。

ps------------------------------
このブログのメインディッシュはコメントでのみなさまとのおしゃべなんですよ~(o^—^)ノ

17. 無題 

いつも愛読しています。
今、香山リカさんの「悲しいのは、悪いことじゃない」
という本を図書館で借りて読んでいるのですが、
「対象喪失」のあと、「喪の作業」の4段階というのが、
あり、驚愕→否定→悲哀→諦念
の道筋をたどるそうです。
大震災のあともなかなか現実を受け入れられない
僕などは、まだ、否定から悲哀に移行している
ところかな、と思いました。
カウンセリング受診歴は四半世紀に及ぶので、
何かいいこと書けるかな?と思ったのですが・・・
ちなみに香山リカさんは僕のことを、
「自己愛性人格障害」と思っておられるみたいで、
このHNの由来はそれで、ゆっきーさんへの
贖罪の意味を込めているのです。
もちろん先刻ご承知でしょうね?

神のごとき透徹した知性を持つゆっきーさんへ

18. Re:無題 

>新庄剛志さん

おはようございます。
その後心と体の方はいかがですか。

私はカウンセラーの先生ではないので「甘いものでも食べたら(好きになったら)どうでしょうか」くらいしか声をかけられませんでしたが、少しでも快方に向かっていることをお祈りしてます。

贖罪は…もういいですよ。
怒らせると果てしなくコワイことわかったでしょ(爆)。

19. 無題 

 今から10年くらい前かな,『心的外傷と回復』の第七章「治癒的関係とは」を読んでて泣いたことがあったなぁ・・・・。
 ハーマンは,治療者の中立について,技術的中立性を守べきとしつつ,道徳的には断乎犠牲者の側に立つという態度決定が必要だ言っておりました。
 続いて,知的側面とエンパシー側面の双方が必要であるとも。エンパシー的側面では,他の精神分析医の文献を引用しつつ,「保護的な親の態度」「”ほどよい母親が自分のおさない子どもにいだくエンパシーと共通の要素」とかいう言葉がおどっちょります。
女医ー女性クライアントはお友だちイメージで,女医ー男性クライアントは母子関係イメージでって前の記事を思い出してしまった。
イルゴイエンヌ氏は,被害者学のベースを取り込んでいるので,フロイトのいう好意的中立からくる冷淡な態度をはっきりと退け,「全知全能の立場にたつのではなく,もっと被害者の立場に立つ必要があるのだ」といいます。そして,別の方の文献を引用してます。「被害者に適用される分析の技法は,<心的現実>と<事実の現実>を考慮二入れて,もう一度定義しなおす必要がある。客観化できるような現実よりも心的葛藤を優位に置くことは,精神分析医たちが現実のトラウマやその心的な結果をおろそかにすることを意味する。」
そして,イルゴイエンヌ氏は,「精神分析医をはじめとするセラピストはもっと柔軟な姿勢を示し,患者に対してより好意的で,またより積極的で刺激的な療法を編みだす必要がある。」とします。
 そんな中で,距離感というかやっぱり問題になりそう。被害者に対するカウンセリングだと,加害の問題に焦点化させていくことで,「同盟者」としての距離をうまく作っていくという感じなのかなって思います。やっぱ,カンニング問題をごまかしちゃいけませんやねってことかしら。





20. Re:無題 

>弁護士 下中晃治さん

ハーマンの『心的外傷と回復』は一時はPTSDの聖書という位置づけだったようですね。

ハーマンが患者の側に立って、PTSDの加害者としたのが、主に娘をレイプした実の父親だった。そして次々と被害者と「同盟」して性的虐待容疑者を告訴していったそうです。

その後ハーマンの「記憶回復療法」に司法が疑問を投げかけるようになって、ハーマンさんは司法の場での証言や闘争が多くなって行ったのでしたっけ。

==========引用==========
法曹会で最も早く明確な声明を発表したとされるのは、1995年のメリーランド州裁判所である。
性的虐待の記憶を回復したという女性が、性的虐待でカトリック教会の牧師を告訴していた裁判で、裁判官は告訴を却下し、判決文に「PTSDが必ず健忘を引き起こすとは考えられない」「原告の『蘇った記憶」だけでは原告の主張の信頼性を証明することはできない」「『抑圧された記憶」という現象が存在するという実証的な研究は報告されていない」という判断を述べた。
=======八幡洋『危ない精神分析』亜紀書房

被害者学を取り入れながらの精神分析療法の社会運動は、下中先生がおっしゃっているように「同盟者の距離感」がポイントになるのでしょうか。

先ほど引用した司法判断の後、全米の裁判所ででハーマン陣営は敗れて行ったような歴史があるそうです。

距離感もこうなると制御するのが大変そうですね。

21. いろいろな問題 

ロスタフの虚偽記憶に関する実験や研究がありました。
私自身は専門的にフォローしているわけではないのですが,司法で陪審裁判で回復された記憶の信用性が否定されていった背景には,①現実に粗悪セラピーが横行した可能性,②性虐待そのものを否定したい社会心理の可能性などがあるのかもしれません。
ロスタフの研究自体も,さまざまな批判があり,司法の中と司法の外では,かなり様相が違っています。
また,児童に対する司法面接のあり方についても研究や取組みが進みました。
アメリカの裁判では,象徴的にはシンプソン裁判を思います。ショー化した刑事裁判では人種差別や警察不信や検察粗悪立証などで無罪評決。民事では有罪評決。殺人事件でしたが。
アリスミラーは,フロイトが,性虐待の蔓延に気づいていながら,途中で,彼自身の成育歴上の問題と折り合いをつけるために,リビドー,エディプスコンプレックスといった概念を作り上げてヨーロッパ上流階級に蔓延した性虐待を途中で覆い隠したフロイトの方向転換を指摘しています。
あるorない?,あるとしてどの程度ある?。
ただ,回復記憶ではなくて,まさに現に行われている性虐待の発見は,小児科医療の現場とか保育園・幼稚園とかで一定数ある。
そこは争いはないでしょう。ただ,被害中or被害直後の発見じゃなくて,回復記憶としてそれが過去にあったことが問題にされ,しかも,損害賠償という熾烈な司法の場で争われるとなると,混迷してくるのもそうだろうなと思います。
うまくまとまらないのですが。

22. Re:いろいろな問題 

>弁護士 下中晃治さん

ロフタス説を裁判所が採用するにせよハーマン説を採用するにせよ、それは基本的に当該裁判のみに限定された個別の司法判断であって、裁判所判決が精神分析学研究に介入、権力的に影響するのは学問の独立という点からも好ましくありません。

先にあげた書籍は心理学者の著作ながらロフタス擁護のため、その点に対する目配りにかけており、あなたの立場は一体何?という感じがしないでもないです(苦笑)。

いずれにしても、日本でもかつてはPTSDの聖書であったこともあるハーマンの学説のその後について、あまり目立った議論がわが国においてなされていないのはなんでかなあ、と思います。
熱しやすく冷めやすいからでしょうか(笑)。

23. 無題 

あっちゃ~,私,思いっきり名前間違えて入力しちょりました~。
鈴木教授の名前もずっと間違えてたし。そうとうなうっかりさんです(笑)。
ご指摘のとおりで,裁判所がある学説を採用するとか採用しないとかいうことはなくて,アメリカの場合ですと,結局,「当該ケースにおいて,その人の記憶がどうか?」なんです。ところが,まさに,その記憶の信憑性に関して,意見書とか研究成果援用とかで,ロフタスや別の立場の様々な学者さんが登場されて,実際に鑑定人的立場で訴訟のアクターになっておいでです。だから,裁判所が権力として学問に介入するというのとはちょっとイメージが違ってるように思います。
文脈は全然違いますけど,沖縄での旧軍の行為について政治問題家する中で,名誉毀損の裁判になると,歴史的事実について訴訟でテーマになっちゃう。南京裁判とか。裁判所は学問介入したくてやってるわけじゃなくて,本当は立ち入りたくないのが本音じゃないかと想像します。でも,紛争として持ち込まれると,学問領域に任せた方がいいことでも判断せざるを得ない。それがまた政治的に利用されていき~というそんな裁判をめぐる状況もあります。
八幡洋氏の著書そのものは読んでないので,私はなんともコメントしかねるかも(汗)。

ハーマン後のご指摘もそうですよねぇ。脳科学の研究成果とかかなり進んでるんでしょう?
熱しやすく冷めやすく忘れることが得意かもしれない日本の方々かも・・・・おお,まさに健忘が問題か(爆笑)。






24. Re:無題 

>弁護士 下中晃治さん

>>裁判所は学問介入したくてやってるわけじゃなくて,本当は立ち入りたくないのが本音じゃないかと想像します。

これは裁判の現場にいらっしゃる(皮膚感覚をお持ちの)弁護士の先生の貴重なお言葉を聞くことができました。
ありがとうございます。
小説にどっかで使えるかなあ(笑)。

記憶回復論争にしても、裁判所は精神医学会に影響力を行使しようとしているわけではない、とのご指摘、まさにそうなんだと思います。

いろいろ貴重なコメントいただきありがとうございました。
お忙しそうなところ恐縮ですヽ(´ー`)ノ
(コメントいっぱいの先生のブログのこと(笑))

25. Re:Re:無題 

>ゆっきーさん
いやあ,こちらこそ。なんか最近コメント欄では殺伐とした話ばかりで,純粋にテーマそのものについて,関心を寄せて語り合おうってのに,とっても餓えてたんだなぁと実感しました。女医シリーズがあまりに知的興奮一杯で,つい,私,あれやこれやと思ったことをコメントして長いしちゃいましたヽ( ̄▽ ̄)ノ。
小説につかえる材料・・・・うーん。そういうのって自分には分からないですねぇ。
また,知的興奮に餓えたら,記事読みますね。ゆっくりゆっくり。本当に,素敵な記事だと思ってますよ。ではヽ( ̄▽ ̄)ノ

26. Re:Re:Re:無題 

>弁護士 下中晃治さん

拙いブログ記事を丁寧に読んでいただいて感激であります。
またお時間がございましたら先生のお好きな東野圭吾シリーズもぜひ!
(o^—^)ノ
それではひとまず本日は失礼いたします。

お休みなさい
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