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おとめのエッセイ

女医の力~その12 部屋の「外」へ

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天使の卵 エンジェルス・エッグ (集英社文庫)/集英社
【村上龍氏 文庫本解説】
 ラストで、主人公は、恋人と共に過ごした部屋を、守りたい、と思う。だが、小説が終わった後、彼は部屋を出ていったであろうと作者は示唆している。彼はただ自分が恋人を描いたデッサンを眺めるのである。

 ここには、村山由佳が思う個人的な希望のあり方が示されている。

 かつて共存した時間の残骸を守るために旧世代と争っても自己満足があるだけだ。おびただしい枚数のデッサンは、二人の輝ける時の象徴だった。主人公はそれを眺め、(恐らくそのクロッキー帳だけ持って)部屋の「外」へ出ていくはずだ。

「それでも自分は生きていかなくてはならない」という自覚だけが個人的な希望の端緒なのだ、と作者はこの小説のラストで示している。



 この村山由佳さんの小説は1993年の小説すばる文学賞受賞作品だ。そして1993年は『高校教師』が大ヒットした年なのである。

 「先生」をめぐるドラマ(かたや精神科医で方や教師という違いはあるが)が同年にかくも異なった世界として描かれたということは、我々にその時代背景を考察してみたくなる誘惑を引き起こす。

 そこで少し俯瞰して時代を観てみようと思う。





 野島ドラマについて、評論家の宇野常寛氏はこう書いている。

 まるで向精神薬を処方するように(「意味」や「物語」を←ゆっきー補注)記号的に配置する野島伸司の徹底した手法と、その商業的成功はこの時代の想像力のあり方を最も象徴するものだと言えるだろう。
『ゼロ年代の想像力』 引きこもり/心理主義の九○年代




 この態度は(宇野史観によれば)エヴァンゲリオン的な「セカイ系」を経て、ゼロ年代には衰微していく。9・11や小泉改革など、否応ない圧力が引きこもりを許さない空気を作っていくのだ。




「ひきこもっていたら殺されてしまうので、自分の力で生きる」という、ある種の「決断主義」的な傾向を持つ「サヴァイブ感」を全面に打ち出した作品は、ゼロ年代から中盤の大きな流れになっていく。
『同書』九○年代からゼロ年代へ 「失われた十年の向こう側」




 ここではそうした時代背景を持つ作品として、『バトルロワイアル』『ドラゴン桜』『女王の教室』などが挙げられている。

 それぞれ例えばグロテスクな悪意(『バトルロワイアル』)学歴社会(『ドラゴン桜』)管理教育(『女王の教室』)に、ひきこもりの微睡みからあらためて目覚めた(目覚めさせられた)のだと言えるかもしれない。



 こうした態度は表面的には、『天使の卵』の「それでも自分は生きていかなくてはならない」の態度と似ているようにも見える。



 でもそこにはかなりニュアンスの違いがありそうだ。


 次回のその【違い】について考えてみたい。


 考察するにあたっては、その焦点をさきに引用した宇野氏の著書の「 引きこもり/心理主義の九○年代」の中にも使われている「心理主義」という言葉に(ただし宇野氏の論考には必ずしも沿った形ではなく)当てることにする。





 続く…。
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~ Comment ~

1. 93年 

僕的にはJLeague開幕であり
ドーハの悲劇です。
関係なくてスイマセン

向精神薬をあてるか…
ドッキリする言葉だね

心理主義とは非形而上学的なことと
理解してます。
(それとは違うのかな?)

フッサールは読まなくて
ついていけるかな?

2. 内側と外側 

かつて踊りをやっていて、体内の内部と外部をひっくり返すレッスンというのをやっていました
(笑)

それは別として、徹底的に内部に引きこもることで、卵が割れるように内破していくことは、部屋の外に出て、見知らぬ景色をじっと見ていることに近いかもしれません。

ゆっきーさんが見ている「外」の景色は、今の私にはイメージできないのですが、未来を感じます。もしかしたら、ゆっきーさんが日本文学に新たな「外」を持ち込む人になるかもしれません。

お世辞ではなく、期待しています!

3. とても・・・ 

刺激的ですね。
まるで時代と心理の考現学のようです。
今の自分にエナジーとして頂いておきます。
僕はまさに引きこもりのマイスターに憧れ、ひとつのテクニックとしてはいまも仕事でそうなのですがハッカーするというテクを用いています。
最初は最高に意識的に仲間の心理と仕事の流れをハックしてしまうことで、常日頃は無意識のレベルでも疎通と行動ができるようにするというもの・・・情報戦略を考えた際に仕掛け人の頭の中をハッキングできれば次の仕掛けがわかるだろうと思ったのが始まりです。
引きこもりながら時代の予測をハッキングすることに憧れを抱いたりしていました。
しかしそれはこもっていながらこの世界を見ていることに変わりません。
禅やインド、イスラムの遊行のように突き抜けていくものがないとその世界が息苦しいほどの閉塞感に変わるような気がして、以来は突き抜ける先にこもることにしています(^-^)/
・・・と変なコメですみません。
刺激をありがとうございます。

4. Re:93年 

>深川歌仙さん

おはようございます。
とりあえずフッサールまでいかなくてもオッケーで、ここではこういう「心理主義」のことです。
(o^—^)ノ

90年代になぜ心理主義化はおこったのか | 考えるための書評集 
http://bit.ly/NEg1D7

5. Re:内側と外側 

>牛山馬男さん

ぜひその外側を一緒にみたいです。
引き続きよろしくお願いします(o^—^)ノ

6. Re:とても・・・ 

>夏流さん

引きこもりつつハッキングする、面白い表現ですね!なんとなくわかります。

引きこもりつつ反転する
ということかしら…?

もしそうなら次に書くマルチン•ブーバーさんの「世界と切り結ぶ」ということなんですけど…。
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