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おとめのエッセイ

カンジャのチカラ2 「セカイ」の多重化の様相

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多重化するリアル―心と社会の解離論 (ちくま文庫)/筑摩書房
 複雑化•多様化する社会の中で、インターネットなどのバーチャル空間やメディア空間の肥大という事態にさらされ、「自分が自分であること」「これが現実であること」に生き生きとした実感を感じられなくなるという事態を、"障害" "病理"と呼ぶことは今や間違いで、それは現代の日本人にとっての自己やリアリティに関する認識の新しいスタンダードになりつつあるのではないか、という仮説を提示した。


 しかし、2001年9月を境に、世界の事情は大きく変わった。今や誰でもがテロ事件やその後の一連の"当事者"にならざるをえなくなったのである。それは、蔓延する解離性障害になんらかの影響を与えたのであろうか。








 多重人格でいるということはそのどちらかと言えば病理的な意味合いから、自分や社会とのバランスの中で、その度ごとに異なる局面で場に応じて自己を調節することを指すようにもなってきている。

 しかし香山リカさんによれば、時代の特徴として多重化に安住することを無条件には許さないような、"当事者"であることの要請がゼロ年代においてはかなり全面にせり出してきている。




 この辺りの事情を今度は精神分析ではなく、文化の側面からみてみよう。




ゼロ年代の想像力 (ハヤカワ文庫 JA ウ 3-1)/早川書房
 たとえば、1999年に発表された高見広春の小説『バトルロワイアル』は、こういった「ゼロ年代」のモードを先駆的に描いた作品だと言える。ある高校の一クラスが、政府の指導によってある日突然「殺し合い」をさせられるという衝撃的な展開は、まさに時代の「気分」を先取りしたものだと言えるだろう。

『新世紀エヴァンゲリオン』のように、あるいはそれ以上に同作における社会は不透明で、信用ならない。しかし碇シンジのように「そんな世の中が間違っているから何もしない」「結果を出すことではなく、自己像を理解してもらうことで認められたい」と煩悶していたら、このゲームの中ではたちまち殺されてしまう。


『音の風景』 ANNEX







 この90年代の引きこもりと多重人格による緩やかな自己調整(宇野氏の著書では「心理主義」)を『新世紀エヴァンゲリオン』に代表させ、強制的な「動員」が要請される時代の想像力を『バトルロワイアル』に代表させる論法はなかなか分かりやすい。



 次回この視点で、世紀末からゼロ年代の多重化をめぐる「セカイ」について考えてみたい。



『音の風景』 ANNEX


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~ Comment ~

1. 序章的には・・・ 

ベイトソンのダブルバインド的状況が家族の中だけでなく、多機能的になってきたとも見受けられます。学校や塾やクラブやサークルや仲間友達、社会的知識のトレンドなどなど・・・その仕組みの中で多数のダブルバインドに解を見出そうとするうちに多重の仮面をつけざるを得なかった・・・とか。
あるいは自分探しから当然それは科学分析の結果のように細分化し、例えるならば幹は一つでも枝は多様に広がりつつある、その木のような自然さが多様で一途な自己形成を生み出したとも・・・
それならばインドの孤高の哲人といわれたクリシャナムルティのように私と世界とは一つである。と言い切ってもいいような気がします。
あるいはシュリ・ラマナのように、多くの自己があってもそれぞれの自己が「私」という。その根を、「私」という思いが生まれる場所にこそ真我があり、それこそが探求である。と見倣すことも出来るかもしれません。
僕にとって多重は病というよりも自然なものです。
ただし・・・
一人でも調和を保つのは大変なのに、多重となればそれこそ多重債務のように自分を縛り付ける状況が生じそれがとても苦しいとするなら、それはやっぱり病かもしれませんね・・・(^-^)/
続きものの小説のようで先を読みたくなりますね。刺激をありがとうございます。

2. "当事者"であることの要請 

"当事者"についてお約束で聞いてみたい。

つまり「何」に対する「動員」なのだろうか?

「動員」自体はリアルなのか?

それが「セカイ」の本質なのだろうか?



ところでこのあたりの事情を
サッカーの側面で見てみると(笑)

中田英がローマで成功し優勝をすると共に
日韓W杯が開催されるが、

その後海外で成功したものは中田英にとどまり
続くものは現れず

言葉のと文化の壁にもろくも砕けさり
サッカーが上手くいだけでは
国際的に通用しないことを
痛感した時期でもあった。

一度扉が開いたと思ったら
ことごとく挫折したこの時代。

自分のサッカーを理解してもらえない

この時期海外に出たサッカー選手は
碇シンジと何ら変わらなかった。

そして必然的なドイツ大会の失敗
直後の中田英の突然の引退で
日本サッカーは追い込まれた…

おやサッカー的にもいいかも(爆)

3. 無題 

1977年生まれもエヴァは好きですヨ!

4. Re:序章的には・・・ 

>夏流さん

おはようございます

>>でも調和を保つのは大変なのに、多重となればそれこそ多重債務のように自分を縛り付ける状況が生じそれがとても苦しいとするなら、それはやっぱり病かもしれませんね・・・
>>

まさに問題はそこですねぇ。
調和させるのは実はものすごいテクニックと経験が必要になるかも?

さらに、自由に見えるインターネットも、『ゼロ年代の想像力』から引用すると、こんな感じ。

「だが、インターネットは検索して、棲み分ける道具であると同時に、世界をつなぐ道具でもある。本来なら出会わなかったかもしれない小さな物語たちが、ウェブという同じ空間で並べられることで接してしまう。」

実際にはいつも多重化された小さなセカイが小競り合いをしてる炎上バトルロワイアルなんじゃないの?

ということも言えそう。

このあたりは次回考える予定になってます。
乞うご期待!
(o'ー'o)ノ

5. Re:"当事者"であることの要請 

>深川歌仙さん

>>"当事者"についてお約束で聞いてみたい。

つまり「何」に対する「動員」なのだろうか?

「動員」自体はリアルなのか?

それが「セカイ」の本質なのだろうか?
>>

おお!ナイスツッコミ(^○^)

物語としてエヴァンゲリオンとバトルロワイアルを参照しつつ、リアルの具体例をインターネット時代の私たちの日常風景に探ってみる中で、このツッコミの答えを提示したいと思います!


サッカーについてはぜひいつか、歌仙さんブログで!

6. Re:無題 

>○ たかさん

ぜひ年長世代の方のコメントも!
ガンダムとの比較とか面白そうだな~と思ったりするのですが…。

ヾ(@⌒ー⌒@)

7. 偏見かも知れませんが 

生きる心の強さが一つ無いだけで、多重化に陥る心の局面が出来る理由もある様な気がします。

8. Re:偏見かも知れませんが 

>零さん

いやあ、偏見ではないような…。
あたしはそうですねぇ。

自分と向き合うのはかなりチカラがいる。
いつもじゃしんどすぎる。

でも多重化すると、閉じこもらないでいろんなアンテナを張れる。

そこに引っかかった情報で、また自分にも向き合えるかなあ~。
だからあたしは多重人格と定点を往復運動してると思う。

そしてその定点は少しづつ動いているみたい。

でも、どこに動いているのかはよく分からない。
そのことも多重化しながらそれぞれの風景の中で確かめてるのかな…。

9. Re:Re:偏見かも知れませんが 

私も雫さんの言葉が、すごく実感があります。

生きる強さというか、生命力がないと、自分がバラバラにほどけざるえを得ないと、私は今感じています。

定点を持つには、最低限のエネルギーは必要です。ゆっきーさんは、定点と多重人格のあいだを往復運動するバランス感覚が、非常に優れています。

だからおっさんのエロネタにも笑って対応できるのでしょう。「我と汝」と「我とあそこ」の対比は、
私はかなり真剣なつもりで書いたんです。

疲れきって布団に入ってから、ゆっきーさんの文章のことを考えて、やっとこさまた起き出して、
書きました。

あれはむしろメッセージで送るほうが適当な内容だったなと後で思いましたけど。

現在の世界で、「ゆるぎない定点観測」するような態度は、むしろ不自然で、ゆらいだり、はぐれたり、また戻ってきながら、定点から見える風景を確認している・・・・・と言った感じでしょうか。

精神のフットワークとバランスが素晴らしいので、ゆっきーさんはうまく泳ぎきると思います。

私の場合はヴァーチャルじゃない、リアルな(こっちがヴァーチャルに思えてしまいますが)の権力に引きずり回されてしまっているので、定点そのものが矛盾した景色が幾重にもなっていて、それが決して美しくないような重なり方なのが、今の現状です。

これを乗り切るには相当のテクネーが必要だと感じています。

ゆっきーさんとのお付き合いは短いですし、世代も資質も違うので、誤解があったり、ぶつかることもありそうですが、よろしくお願いします。

ゆっきーさんは、普段はとても真摯に相手に寄り添うのに、時々「冷たい愛」で接したくなるのですね^^ツンデレタイプなのかな?

10. Re:Re:Re:偏見かも知れませんが 

>牛山馬男さん

こんにちは
私にとってはどんな反応もすべて真摯な態度なのですヨ。
下ネタ返ししたりするのもしないのも、啖呵切ったり、一緒に笑ったりするのもすべて気まぐれなのではなくてそれぞれに理由があるのです。

それが私の定点なのかも?

だから誤解を心配するより定点見つけてね。
常に動いてるから見つかりにくいけど(笑)。
ღゝ◡╹)ノ

11. 無題 

うーん,エヴァンゲリオンを知らないためこの記事はよく分からなかった。

ところで,「多重人格」という今はあまり使われなくなった用語,わざと使ってます?
「解離性同一性障害」という言葉を使わずに,あえて「多重人格」という言葉で記事を書き続ける理由。なんかあるんでしょうね。

れいだ~ま~ん。
擬似,ロボット,高性能♪
識別不可能!
れいだ~ま~ん♪

ひそかに戸川純も好きだったりして(笑)


12. Re:無題 

>弁護士 下中晃治さん

そうですね。そこにはこだわってます。精神科医の斎藤環さんがミステリー作家の清涼院流水を論じた文章の中でこんなことを言っています。

「近年の傾向として私が注目するのは、かりに「分裂から解離 へ」と表現できるような流れである。
 現象面からみると、それは「境界例から多重人格へ」という変避として表現される」

二重や多重ではなく、なぜ解離なのかなんですが、斎藤氏はこう続けます。

「解離性症候群の治療は、必ずしもオリジナル人格を回復することなく、むしろ交代人格それぞれの体験と記憶を統合することで、新たな人格の獲得を目指すものである」

『解離のポップスキル』

臨床ではそうなりますから、二重や多重というオリジナル人格がその背後に含意される言葉よりも、解離というされない術語の方が適当であるということなんでしょう、多分。

なので、オリジナル人格が「なぜ」分裂するのかを問いたいこのシリーズにおいてはあえて昔の呼び方を使いました。
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