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おとめのエッセイ

女医の力最終回 世界の中心で「否!」を叫ぶ

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天使の卵 エンジェルス・エッグ (集英社文庫)/集英社
 最後にもう一度だけ、部屋の中を見まわす。ダイニングセットも本棚も、観葉植物の一つ一つに至るまで、目になじんで懐かしい。そのすべてを、僕は記憶に焼きつけようとした。

 いつかはこの痛みも薄れていくのだろうか。親父を失った悲しみも、いつしか薄れたのと同じように。

 大学に通い、バイトに出かけ、店を手伝って、眠りにつく。そんな単調な日々をエンドレステープのように重ねていくうちに、隣に春妃がいない生活にも慣れてしまい、そしてやがては本当に彼女のことを思い出さなくなるような日がくるのだろうか。






「一人の人間が死ぬたびごとに、一つの世界が滅んでいく」

 一人の人の死は、その関係の総体への葬送だ。部屋にあるダイニングセットにも本棚にも、観葉植物にもすべての葬送行進曲が奏でられる。

「どれほど愛しても、結局「死」には追いつけない」

 追いつけないばかりではない。死は「忘却」によってその足跡を自ら消そうとしていく。

「それでも自分は生きていかなくてはならない」

 やがては本当に彼女のことを思い出さなくなるような日まで?忘れたことさえ忘れてしまうその時まで?





 しかし、この小説のラストは、通俗的な失恋による成長を出口とするものではないのだ。



「人間がますます個人として成長していくというのは、必ずしもますます人間らしくなっていくことではない」(マルチン•ブーバー)

 

 ブーバーのこの言葉は、ともに成長を是としない1993年の小説すばる文学賞受賞作品『天使の卵』と、同じく1993年のテレビドラマ『高校教師』の大ヒットとに分岐したのだ。



 『高校教師』の内側に引きこもる心性は二年後の1995年アニメ史上空前の大ヒットとなる『新世紀エヴァンゲリオン』に流れ込み、心理主義化された世界把握を決定的なものにする。

 心理主義の徹底とはやがて90年代後半から新世紀にまたがり、成長を拒み、宿命を受け入れ、目の前にある社会をあたかも存在しないかのようにみなし、「主人公とヒロイン中心とした小さな関係性の問題が、具体的な中間項を挟むことなく、『世界の危機』『この世の終わり』など、抽象的な大問題に直結する」(東浩紀『美少女ゲームの臨界点』)「セカイ系」産み落とす。



-------------------------


 春妃先生と僕の『天使の卵』は?

 いよいよこのシリーズの結語を書く段に入ったようだ。

『天使の卵』で描かれた「女医の力」とは世界の<中心>で成長に「否!」を叫ぶ力なのだ。



『バトルロワイアル』『ドラゴン桜』『女王の教室』の登場人物たちは、一見するとそれまでの「セカイ系」の引きこもりのまどろみから目覚め、社会に抗う(バトル)、もしくはそれを制御(入試ゲームクリア)しようと、あるいは逃走(女王の教室から)しつつみえる。しかしそのいずれの「決断主義」(宇野常寛)もまたそれぞれの「決断」の失敗から「セカイ系」的な島宇宙に再び退行する危険性をはらんでいる。

 殺し合いに敗れし者、入試に失敗した高校生、逃走先で捕まった義務教育過程の子供たち、数でいえば敗者は圧倒的である。

 そして、彼らに「決断」したことの苦い後悔と、もう二度と決断はすまい!という以前にもまして激しい負の「決断主義」が生まれることはむしろ決断主義の必然ではないのか。


-------------------------

 この部屋には思い出になるただ一枚の写真すらないことに『天使の卵』の僕は気がつき、気が変になりそうなほどの悲しみにとらわれる。

 春妃に惹かれ、春妃の妹である恋人を傷つけても二人で歩いて行こうと決断した部屋にはもう何も残っていないかのようだった。



 しかしそこに春妃を見つけた。

 自分が書いた春妃のデッサンだ。

 「そのイメージは不思議なことに、彼女が生きて目の前にいた時よりも鮮明なほどで、押し寄せてくる思い出の奔流に息が詰まりそうになる」





 僕はそのクロッキー帳を持って「外」へ出るのだ。

 部屋に引きこもることもなく、すべてを残して新しい世界に成長を求めるのでもなく。

 多分僕は芸大で、社会にでてからも絵を描き続けるだろう。それは春妃先生の甘美でありながらも痛い思い出をその度ごとに更新する作業であるはずだ。

 社会に抗うこともなく、内に引きこもることもなく、思い出は厳しく常に新しい世界を発見させてくれる。




 だって、世界の中心にはいつもその度ごとに新しい春妃先生がいるのだから。涙で翫弄(がんろう)するにはあまりにも鮮明なこの思い出は、思い出すたびに、"過去への決別"や"状況と未来への決断"とは違った形で、いいかえれば成長というあらかじめ用意された偽のシナリオをなぞるのではない人生を切り開く可能性を示唆している。



 なぜ?

 世界の中心で叫ぶ「否!」とはたぶん「ますます人間らしくなっていくこと」だから。
 敵に否!でもなく自分の内側で叫ぶことでもないから。

 だからそれは、一つの世界の誕生なのだ。世界の死から生まれた…。






そこには春妃がいた。

どのページにも、どのページにも、春妃があふれていた。

『天使の卵』ラスト







 女医シリーズ おしまい

 最後までお読みいただきありがとうございました。


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~ Comment ~

1. 「然り」ではなく「否」 

ニーチェリアンのゆっきーさんには意外な結論。
しかし論旨を辿れば、そんなことないのですけどね。
ニーチェ風に言うと

世界の終わり(神の死)で「然り!」と叫ぶ

となるのですかね。

2. Re:「然り」ではなく「否」 

>のん(千葉)さん

おはようございます。
二度寝は気持ち良かったですか?(笑)


そうですね、成長に否!
世界に然り!

3. セカイと決断 

このシリーズを読ませていただいて
そういえば今の日本の状況は
決断主義に押されるセカイ系
の様相を呈しているなあと思えてきました。

あるいは決断主義というのもセカイ系の一部なのかもと。

成長とはなんぞや。
世界とはなんぞや。

否と然りの是々非々人生。

4. Re:セカイと決断 

>鷹師さん

こんにちは(o^—^)ノ

>>決断主義に押されるセカイ系

そうですね、その状況認識は私も100%同意です。

また、決断主義が実はセカイ系の一部なんじゃないかとは、宇野さんの意見と反対側で論陣張っている笠井潔さんというミステリ作家の主張ですね。
私も実はそう思うのですが、今回のシリーズではそこ深入りすると大変になりそうなのでばっさり割愛しました。

そのうちセカイ系についても何か書きたいので、その時に触れてみたいと思います。

コメントありがとうございました!

5. 高校教師を・・・・・ 

レンタルビデオ屋に借りに言ったら、若い女の店員が「キモイ」って顔をしてました。

私のアメンバーにはゆっきーが三人いるのですが、「否!」と叫んだり、「然り!」と叫ぶ、ゆっきーさんの定点は見えません。

ブーバーが言ってました。

「ひたむきに憎しみを持つ人は、愛も憎しみもない人よりは、はるかに関係の近くにいる」と。

セカイ系はわからずとも、春妃のデッサンは書けるはず・・・・・

6. 「否」とは 

「われ-それ」から「われ-なんじ」に移行する起点としての「否」だとすれば納得いきます。

ただそれはかなりの人間的「成長」のように思うが・・

もちろん通俗的「成長」ではなくて、

春紀の死によって、例えば同じようにまた誰かの死と隣り合わされる場面が生じても、春紀の死の時とは違った「僕」がいるわけで。

やはり成長じゃないかな?

7. Re:高校教師を・・・・・ 

>牛山馬男さん

やな店員ですねえ(笑)。
ま、そんなのは無視!

8. Re:「否」とは 

>深川歌仙さん

このブログに時々コメントをくださる方の記事を見てたら、成長と成熟を区別されてました。

僕に訪れるのは成熟なのかなと思います。

9. 自分の一部になった人は、忘れられない。 

ゆっきーさんこんにちは。
私は、彼氏と別れたときに
似たような喪失感を味わいました。

自分の中に彼がいる。
自分の価値感に彼の物差しがある。
それは生きて行く上で確かに成長と呼べたものだったかもしれないけれど、辛すぎて先に行ける気が全然しなかったです。

すべてにハルヒがいたら、ハルヒに縛られるんじゃないかと思う。
人生においてあまりに大きな存在と別れを告げると、確実に生活の出会いのクオリティが下がる気がします。

パートナーと呼べる人にはもう会えないのかな、とそんな気がします。

ゆっきーさんはどう思われますか?
(これが意図するような内容に沿って書かれてるか、よくわからないのですが。すみません。)

10. Re:自分の一部になった人は、忘れられない。 

>Shamrockさん

こんばんわ
コメントありがとうございます。

私は本当に好きになればなるほど、自分の行動の軸とかものの考え方まで変わっちゃうから(笑)、Shamrockさんのおっしゃることはたぶん分かるんじゃないかなと思います。

その人がいなくなってしまった後、それを縛られると思うかどうか…。
私は個人的には、縛りじゃないと感じます。
もうそれ以降人生に出会いが仮になかったとしても、
それ程までに強烈な体験ができたことを後ろ向きに思い出に浸ってるとは思えません。

あの人だったらどう考えるかな~と思い出すんじゃないかな~。私は絵心がないのでスケッチはかけないのですが…。

その延長上にもしかしたら新しい出会いはあるかもなと思います。

過去をきっぱり忘れることからは、私は個人的にはなーーーんにも(笑)生まれないと思ってます。

たぶんすごい少数意見のはずですが(ノv`*)

11. 無題 

主人公とヒロイン中心とした小さな関係性の問題が、具体的な中間項を挟むことなく、『世界の危機』『この世の終わり』など、抽象的な大問題に直結する

この一節を読んで「最終兵器彼女」を思い出した僕はいったいなんなのでしょう(笑)。

成長するとは更新すること、なのでしょうか?僕自身のイメージはピラミッドが積み上がっていくというものなのですが…すみません、論旨と合ってないですね。ただ、訊いてみたかったので(´・_・`)

12. Re:無題 

>エルバラダイ徹さん

おはようございます
コメント欄ではお久しぶりです(o^—^)ノ

その作品と共に世界系の源流としてよく挙げられるのが、ほしのこえ、ブギーポップは笑わないなどです。

更新のイメージは更新のたびに方向性を確認するブログのようなイメージでそう書きました。

結果的には何かが積まれてると思います(思いたい、かな(笑))。

13. Re:Re:自分の一部になった人は、忘れられない。 

>ゆっきーさん

よかった!過去は忘れる必要、ないですよね。
良きも悪きも、みんな私の一部になる。
その上で前に進む。それでいいですよね。
でも、やっぱ辛く思い出すのは辛いですが(笑

14. Re:Re:Re:自分の一部になった人は、忘れられない。 

>Shamrockさん

(o^—^)ノ
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